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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)1440号 判決

控訴人(原審被告) 国

右代表者法務大臣 古井喜実

右指定代理人 押切瞳

同 竹沢雅二郎

被控訴人(原審原告) 高安すみ江

主文

原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。

被控訴人の右取消にかかる部分の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  申立

(控訴人) 主文同旨。

(被控訴人) 控訴棄却。

第二  当事者双方の主張及び証拠の関係は、証拠の関係につき次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

《証拠関係省略》

理由

一  被控訴人が昭和四一年一一月二日滝岡検事から原判決別紙記載の公訴事実のとおり私文書偽造、同行使、公正証書原本不実記載、同行使の罪の嫌疑があるとして、水戸地方裁判所に公訴を提起されたこと、同裁判所が同四四年二月二七日に右事件につき無罪の判決を言渡し、その判決が控訴の提起なく確定したことは当事者間に争いがない。右の事実によれば、同判決が同年三月一三日の経過とともに(従って同年同月一四日に)確定したことは、刑訴法三七三条、三五八条、五五条によって明らかである。

二  被控訴人は、請求原因2のとおり、右公訴提起が滝岡検事の不当かつ不備な捜査に基づく違法な公権力の行使に該当すると主張する。

1  そこで判断するに、まず右公訴の提起が国家賠償法一条所定の「国の公権力の行使に当る公務員がその職務を行うについて」した行為に該当することは明らかである。そして同条に「違法に」というのは国家の権力行使が客観的に見て、法の許容する限界をこえてなされることをいうのであって、公訴事実について証拠上合理的な疑いをさしはさむ余地が顕著に存在し、有罪判決を期待し得る可能性が乏しいのに、すなわち公訴を提起すべき合理的根拠がないのに、敢えて提起されたとき違法性を帯びることとなる。

従って、刑事々件において結果として無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴提起が違法であったということはできない。刑事訴訟法は、裁判官による証拠の評価につき自由心証主義を採用しているから、人によって証拠の証明力の評価の仕方に違いがあるため、同一の証拠によって形成される心証の態様、強弱の程度にいても或程度の個人差が生じることは避けられない。裁判官と検察官との間においても、(イ)立場の相違から証拠の見方や心証の強弱に差異がないとは言えないし、(ロ)起訴時と判決時とにおいて証拠が量的にも質的にも異なってくることから判断に差異が生じる可能性があるからである。これが違法であると言うためには、検察官の証拠の収集に粗漏があるとか、同じ証拠に基づく判断でも検察官の判断が証拠の評価について通常考えられる前記の個人差を考慮に入れてもなおかつ行過ぎで、経験則、論理則に照らして到底その合理性を肯定することができないという程度に達していることが必要である。無罪の判決が確定しても、検察官の証拠の収集に当時の情況のもとで粗漏がなく、かつ、検察官の判断が通常考えられる前記の個人差の範囲内のものとして是認できる場合には、その公訴提起は適法行為として、国家賠償法による賠償の対象とはならない。国家賠償請求訴訟の審理をする裁判所の判断の対象は、公訴提起の時点を基準として、検察官の証拠の収集に粗漏がなかったか否か、及び検察官の証拠の評価についての判断が経験則、論理則に照らして合理性を有しているか否かである。

当裁判所は、右のような見地から、滝岡検事の証拠の収集に粗漏がなかったか否か及び証拠の評価についての判断が、合理性を有していたか否かを検討する。

2  原判決理由二の1、及び同二の2の(一)ないし(五)に記載された事実の認定判断は、証拠として当裁判所が当審において追加された証拠を加えるほか、原判決書一〇枚目裏一〇行目から同一一枚目表七行目まで、及び同一一枚目裏四行目の「前記」から同二〇枚目表八行目まで(但し原判決書一四枚目表九行目及び一二行目にそれぞれ「同月一〇日ころ」とあるのをいずれも「同月九日」と、同一五枚目裏二行目の「あった。」を「あって、前記武藤米子及び原告の各供述中六万円の支払日及び本件宅地の測量実施の日について右認定に反する部分は、前記小林友二郎の各供述に照らして措信できない。」と、同一八枚目裏一行目に「できない」とあるのを「できません」と、各訂正する)と同一であるから、これを引用する。

3  右認定のように被控訴人が本件宅地を急いで分筆しようとしたのは何故か、本件犯行の動機となるべき右の点について前掲及び後掲の各証拠によれば、次の(ア)ないし(エ)のような事実が認められる。

(ア)(被控訴人が本件土地建物買受契約を結ぶようになった経緯)

被控訴人は、昭和四〇年四月二〇日か二十二、三日頃、かねて金員を貸付けてあった福田徳一方に貸金取立てに行ったところ、福田から、「元吉田町で雑貨店をやっている武藤米子が、今住んでいる土地家屋を一七〇万円で売りに出している。転売先の目安があるから買わないか。太子町の町会議員おがち某も子供が水戸の高校に進学するので住まってもよいが、事情があって自分では買いに行けないから、買って貰いたいと言っている」と言い、その場にいた太子町の自転車屋本田某も、「その土地家屋なら二〇〇万円で十分売れる、買手の目安もあるので、武藤から一七〇万円で買ってくれ、二〇〇万円で売ってやる。二〇〇万円位で元教員をしていて退職したという人に売れる、その人を四月二八日に連れて来る。直ぐ金が入る。」と言うので、被控訴人は、本件土地家屋をすぐに転売でき、利益を含む転売代金が短期間に手に入ると考えた。

その上、被控訴人が昭和四〇年四月二六日本件土地家屋を見に行き、武藤米子に対し、転売目的を秘し「この土地建物を買って子供二人を住まわせたいので売ってもらいたい」と述べたところ、「他にも一七〇万円で買手がある。先に手付を置いて行った人に売る」と言われた。被控訴人は、以上のような事情から買受けを急ぎ、早速矢田部不動産で一〇万円を借りてこれを支払ったが、その時武藤米子に対しては「四月三〇日に手付金五〇万円を支払い契約する、今日はとりあえず一〇万円だけ置いて行く」と述べた。その際は被控訴人は、同年四月二八日には本田某が元教員の買手を連れて来るし、同月三〇日には転売代金又は少くともその一部が入ると思っていたのである。

ところがその後一向に本田が姿を見せないので、被控訴人は、再三福田に連絡して、おがち某、本田某ないし元教員某から金が入って来るのを待っていたが、遂に来ないまま約束の同月三〇日を迎えてしまったので、約束の四〇万円より少い二四万円だけ持って武藤米子方に行き、武藤米子が、「本件土地建物には国民金融公庫からの融資のため抵当権を設定してあり、これを抹消するため四〇万円の手付金をほしい」と述べたのに対して、同行した宅地建物取引主任土生正司から「その抵当権抹消は、所有権移転登記と引換えに残代金全額を支払う五月三一日にしたらよい。手付金は代金の二割の三四万円としてほしい。」と説明させて、了承を得、本件売買契約を結んでしまい、同日契約書を作成し、二四万円を支払った。

(イ)(被控訴人が分筆を急いだ事情)

その後、被控訴人は、初めに期待していた転売先の話はいい加減なもので、そのように右から左にたやすく、しかも利益を得て転売することはできないことを知ったが、本件売買契約ではもし被控訴人が同四〇年五月三一日までに残代金(一三六万円)を支払わなかったときには武藤米子において契約を解除し手付金二四万円を武藤米子の所得とすることができることになっていた(この点は前記引用のとおり当事者間に争いがない)ため、利益を諦め、同四〇年五月五、六日頃までに矢田不動産角田商事等の宅地建物業者に、原価の一七〇万円での本件土地建物買取方を依頼、交渉した。ところが、右業者らからは、「本件土地建物なら一箇月位前に一二〇万円で売りに出されていたが買わなかった。一七〇万円では到底買えない」と拒絶された。被控訴人は、武藤米子の夫武藤徳治から本件土地の一部(三角のところ)は、裏に第三者所有の袋地があって、その公道への出口になるので、高く売れると聞いていたこともあり、本件土地建物売方交渉中、「店(別紙目録(二)の2記載の土地とその上の店舗)だけなら買ってもよいという客、(水戸市河和田町の市毛某、或はリン(林)某)が出て来たので、本件土地を早く三つに分割して転売をはかろうと考え、前記引用のとおり小林友二郎に本件宅地を三筆に分割したいので急いで測量をして欲しい旨依頼したのである。

(ウ)(急ぎ方)

前掲甲第六号証(小林友二郎の司法警察員に対する供述調書)によると、被控訴人のその急ぎ方は、同年五月九日、日曜日であるにもかかわらず、午前九時頃小林友二郎方に行き、すぐ測量してもらいたいと依頼し、「日曜だし、車がないから測量などに行っていられない」と言う小林友二郎に対し、ハイヤーを頼んだ上「今日是非行ってくれ」と頼み込んだ程であったことが認められる。

(エ)(被控訴人が残代金支払いに窮していたこと)

前掲乙第一三号証(被控訴人の夫高安登の検察官に対する供述調書)によると、被控訴人が結局残代金一三〇万円を同年五月三一日に武藤米子に支払うことができなかったのは、資金が足りなかったからであることが認められる。

従って、滝岡検事としては、公訴提起前において、右のような事情によって被控訴人が分筆(転売)を急いでいたことが本件犯行(武藤米子の承諾を得ないで委任状を偽造した)の動機となったものと理解することができた筈であり、通常の検察官としてはそのような心証を得るのが当然と解される。

4  同年五月一〇日ころになされた測量が、分筆のためのものであることを、武藤米子がそのころ知っていたかについて、前掲各証拠を見てみると、

被控訴人は、武藤米子と、その夫武藤徳治に「分筆登記をしたいので測量させてくれ」と言い、承諾を受けた旨述べていること前述のとおりであるが、武藤米子及び小林友二郎の各供述調書に照らして武藤徳治もいたという点からして措信できず、

小林友二郎は、本件公訴提起後、証人として測量の日に、①自分と被控訴人が武藤米子に対し「分筆」のため測量に来た旨明確に告げたとか、②武藤米子が「分筆するのに坪数に制限があるなら後の方で曲げてもよいから両方の家にかからぬよう、雨だれがかからぬように分筆線を入れてくれ」と言ったとか、③自分が「測量したら分筆登記も全部自分の方でやる」と言うと、武藤米子が「それには幾日かかるのか」と尋ねたということまで証言しているのであるが、小林友二郎は捜査の段階においては、初め前掲甲第六号証(昭和四〇年九月二二日付司法警察員に対する供述調書)では「武藤米子の立会いのもとに測量を始め」たことしか述べていなかったところ、測量の日から約一年五か月後の同第七号証(翌四一年一〇月一三日付検察官調書)に至って、ようやく前記引用のとおり「立会の武藤米子に意見を聞いたが別に異議はなく」と述べ、前後の供述と合わせれば、被控訴人が指示したとおりの分筆について小林友二郎が武藤米子の意見を聞いたが異議がなかったという意味に解せられる供述をするようになったのである。しかし、測量の日の約四か月後で、まだ記憶の新らしい時期(前記甲第六号証)においては、小林友二郎は、「被控訴人が武藤米子から本件土地を買受けているということでしたので、分筆登記のことについても(武藤米子は)被控訴人にまかせてあるとばかり思っていたのです」と述べているのであって、この方が考え方としては自然な受取りかたであり、真実に近いことを述べているものと思われる。そうだとすると、わざわざ分筆について意見を聞いたという小林友二郎の検察官に対する供述は不自然である。

従って検察官が、一貫して分筆ということを聞かなかった旨述べている武藤米子の供述に信用をおいたとしても判断に合理性を欠いたとは言えない。

5  武藤米子が、被控訴人らが測量に来た時、司法書士の加瀬三男に電話で相談し、「宅地を測らせるだけならいいが、書類に印鑑を押さない方がいい」との指示を受け、これに従い被控訴人の求めた本件委任状への押印を拒否した旨述べていることについて、《証拠省略》によれば、次のような事実が認められる。

武藤米子の夫徳治は、かねてから、銀行から借金し、国民金融公庫から四〇万円を借りかえたとき、各抵当権設定の手続を一切委任して、加瀬三男を知っていた。徳治は法律的知識がないし、不動産を売却することが初めてのことであったため、加瀬三男に本件不動産売却の際注意しなければならないことは代金を確実に入手することであると教えられたことがある。その他にも初歩的なことでも何でも相談していて、武藤方の電話器の傍には加瀬三男の名と電話番号に印をつけた電話帳が掛けてあった。測量の日の午前中に被控訴人が残代金一三六万円の内金六万円を持参したとき武藤方には徳治も米子もいたが、徳治は加瀬三男に領収証の書き方を教えてもらった。従ってその日の午後徳治のいない武藤方に測量に来た際、武藤米子が測量するまま許しておいてよいか不安になって、加瀬三男に相談したというのは真実らしいことである。また相談された加瀬三男が、書類に押印しない方がよいと指示を与えることは、代金残一三〇万円が未納なのに代金領収の書類に押印したりすると困るということは考えられることであって、そのような注意を司法書士が全くの素人に与えることは考え得ることであって、不自然ではない。滝岡検事は、武藤米子が昭和三十七、八年頃常陽銀行から土地を抵当にして借金した時と同三八年に国民金融公庫から四〇万円を借りて土地に抵当権を設定した時、各抵当権設定に関する手続きを全部加瀬三男に委任して同人を知っていたことについては、その際同人から受取った領収証及び武藤方の電話器の横にいつも掛けてあり加瀬三男の名と電話番号に印をつけてある電話帳を武藤米子から提出させてこれを確認し、また加瀬三男に電話して、武藤米子から前記の如き相談、問合わせがあったかを尋ねたところ、加瀬三男は滝岡検事に「登記の客が多いし古いことだから記憶にない」と返事した。滝岡検事が加瀬三男の調書をとらなかったのは、当時東京地方検察庁では指定事件、準指定事件という制度があり、検事が参考人を呼出してもメモにとどめたり、或いは簡単な事項については電話照会で確かめるという所謂補充捜査の合理化をしていたので、その制度の精神に基づき、この程度調べて置けばよいと考えたためであった。

以上の事実が認められ、原審証人加瀬三男の証言中には加瀬三男が本件公訴提起前には事情聴取を受けたことがないかの如き供述部分があるけれども、検察官から電話照会を受けたことがあるか否かについて尋ねられていないのであるから、これによって前記認定を左右することはできない。

右の認定事実によれば、滝岡検事が前記の武藤米子の供述を信用したことが不合理であったということはできないし、この点について捜査が不備であったとか、事案の性質上当然になすべき捜査を怠り証拠資料の収集が不十分であったということもできない。

武藤米子の右供述について、《証拠省略》によれば加瀬三男が本件公訴提起後に証人として、右相談も指示も否定し、更に自分の事務所で武藤徳治が売った宅地を三つに分筆するということをもらしていたと証言していることが認められる。しかし、加瀬三男は、その後不動産業を営む被控訴人から委任を受けてしばしば登記申請書を作成したことが《証拠省略》によって認められるので、刑事被告人である被控訴人に同情の余り、右相談や指示の事実を否定する証言を述べたと解せられなくはないし、《証拠省略》中で加瀬三男が自分は主義としてそのようなアドバイスはしないことにしていると述べているのであるが、同証人が顧客からの相談に対してそのような主義を頑くなに守っていたとの点は疑念を挾む余地が多分にある。

6  《証拠省略》によれば、武藤米子が昭和四〇年六月一一日に水戸地方裁判所から仮登記仮処分命令とその更正決定の送達を受けたこと、右更正決定は、右仮登記仮処分命令が本件土地を分筆登記以前の一筆のものとして表示していた間違いを、分筆登記後の三筆の表示に更正したものであること、従って登記及び法律の知識のある者が見れば分筆されたことが判る筈であるが、その知識のなかった武藤米子は、右更正決定に「分筆」の文字もないし、これに気付かなかったこと、武藤米子は同年九月に至り、右書類を東京の西村弁護士に持参した際同弁護士から指摘されて初めてこれを知り、早速同年九月一二日頃水戸地方法務局に行き調査したことが認められる。

そうだとすれば、同年六月一一日に分筆の事実を知っていたのに同年九月一四日まで告訴せず放置していたということはできない。前掲各証拠によると、右仮登記仮処分後双方に弁護士がつき弁護士同志で話合いをすることになって、武藤米子は自分の弁護士から被控訴人の残代金弁済を猶予してやれと説得され同年六月から八月まで数回に区切って延期して完済を待ったのに、被控訴人は弁済しなかったことが認められ、この話合いが続いていたことからも、告訴が遅くなったことに不可解な点があると言うことはできない。

7  《証拠省略》によると、武藤米子が昭和四〇年五月二七日に三通の印鑑証明書の交付を受けたことが認められる。しかし、右証拠によればその前から武藤夫婦は印鑑証明書の交付を受ける時は、常に、二ないし三通の印鑑証明書の交付を受ける習慣があること、本件売買による所有権移転登記の際には、国民金融公庫の抵当権抹消のためにもこれが必要だと思い違いをしていたことが認められる。そして本件土地を三筆に分割して三名の買主にそれぞれ所有権移転登記手続をすることを武藤米子ないし徳治が知っていたとは到底考えられないことは、《証拠省略》によって、昭和四〇年五月三一日に武藤米子側が履行を同日中にするよう被控訴人側に求めていた電話が、武藤米子から被控訴人に直接移転登記することを前提として話しており、被控訴人側も転売先が三者あることを前提とした話は一切していないことが認められることからも充分窺い知ることができる。なお同一の登記所に対し同時に数箇の申請をなす場合において各申請書に添付すべき書類に内容同一のものがある時は、不動産登記法施行細則四四条の九によって、一箇の申請書のみに一通添付すれば足りる。従って本件土地が三筆に分割されていても内容が同一である印鑑証明書は一通で足りるところ、武藤米子側においてこの点について思い違いをして三筆に分割されているから三通の交付を受けたということを認めるに足りる証拠はない。

従って同四〇年五月二七日付の武藤米子の印鑑証明書が三通あることから、本件土地を三筆に分筆することを武藤米子が予め知っていたことの根拠とすることはできない。

8  そして前認定のとおり、被控訴人が武藤と刻した楕円形の三文判を買求めて来て本件委任状に押捺したことについて《証拠省略》によれば被控訴人が初め、武藤米子が「武藤の印ならどこにでもあるからそれを使って被控訴人が分筆登記の申請をしたらよい」旨承諾していた旨弁解していたが、前認定のとおり昭和四一年一〇月二五日逮捕され、勾留されると、三日後の同年同月二八日には「武藤米子からは判を押せないと断わられた、三文判を買って押してよいと承諾を受けたのではない、残代金全額支払わなければ分筆登記することは許さないという意味のことを言われた、五月三一日に支払えば問題はないと思っていたが、承諾しておらないものを三文判を買って委任状に押したことは偽造ということになり、悪いとは知りながらやってしまって申訳ありません」と自供したことが認められる。此の時「実印しかないからそれには判が押せない。あんたに売ったのだから金さえ全額貰えればいい」と武藤米子に言われたことも《証拠省略》によって認められるが、これを武藤米子が暗黙のうちに分筆について承諾していた証左であると解することはできない。

9  《証拠省略》によれば、被控訴人は、武藤米子から、電話で、本件分筆登記申請委任状に、勝手に武藤と刻した三文判を押捺したことを責められた際、「買ったんだから当然でしょう」と、あたかも売買契約をした以上分筆登記を勝手にしても構わない、と言わんばかりの応答をしたり、武藤米子から「委任状の判はどこから出したのか」との詰問に対し「何とでも言いなさいよ」と答えるなどしどろもどろな応答を繰返し、遂には第三者に受話器を渡して引っ込み、この問答から逃げ出したことが認められる。もし武藤米子が被控訴人に対して三文判を買って押してくれと言ったり、分筆を認めていたのならば、当然そのとおり明確に主張するはずであり、その主張ができない程被控訴人が内気であるとは、前掲各証拠によって窺える刑事法廷や民事法廷における被控訴人の供述態度を考え合わせると、到底認められない。

前記応答中に、「頼んでおいて何言っているんだ」という被控訴人の言葉があるけれども、これを分筆や、委任状への押印に対して「承諾していたではないか」という趣旨の反ばくと解釈することはできない。

10  以上2ないし9において検討して来た事実から考えると、告訴人である武藤米子の供述は、これを虚構であるとして排斥し去ることは出来にくい真実らしさを具備していたと認められるのであるから、検察官が右供述に信頼を置いたとしても、その判断が合理性を欠いているとか、判断を誤ったものとみることはできない。

そして《証拠省略》によれば、武藤米子の供述に添う貸付金残高証明書、袋入り印鑑六個、録音テープその他の証拠物が存在していたことが認められるのであるから、検察官が武藤米子の供述に信頼を置き、証拠物との関連を検討して、被控訴人に犯罪の嫌疑があると判断したことは不当ではなく、これをもって違法であるということはできない。

即ち検察官のなした被控訴人に対する本件公訴提起という権力行使に当っての証拠の収集に粗漏の点は認められないし、証拠の判断も証拠の評価について通常考えられる個人差を考慮に入れれば、公訴提起の時点においては公訴事実の存在が肯定される可能性があったものと認めることができる。

結局、検察官が被控訴人に犯罪の嫌疑が十分にあり有罪判決を期待し得る合理的根拠があると判断したことは何ら不当ではなく、これをもって違法ということはできない。

三  そうだとすれば、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人の請求は理由がない。よって原判決中被控訴人の請求を認容した部分は不当であるから民訴法三八六条により取消し、右認容部分の被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡松行雄 裁判官 園田治 木村輝武)

〈以下省略〉

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